2016年12月25日日曜日

底沢

 相模原市千木良の甲州街道に、「底沢」というバス停があります。
 その近くの林道を車で15~20分進むと、息子が遺体で発見された沢の入口に到着します。
 息子が発見された場所は、傾斜角60度の谷底の沢で、私達にはバス停の名称が強く印象に残ります。
 バス停の近くには小学校も公民館もある町があり、息子が運動靴さえ履いていれば、命を亡くすこともなかったという思いが強く沸き起こります。

 誰でも開けられる扉、開けっ放しになってもしっかりした監視体制をとっておらず、入所者が出て行ったことが判っても、点呼を取らない施設。
 扉は部外者でも開けることができ、相模原の事件のような凶悪な意図を持った人物でも自由に入ることができる状況でした。
 明らかな過失を処分しない東京都。
 口惜しさがどんどんつのります。

 今春、東京と大阪の認可外保育施設で幼児の死亡事故がありました。
 大阪は「認可外保育施設指導監督基準を満たす旨の証明書」を返却させましたが、東京は指導のみの対応になっており、行政の姿勢にも違いが感じられます。
 待機児童を減らすため、保育施設を増やそうとしている行政。
 安全性の垣根を低くしても施設の数を増やす。
 東京都にいたっては処分すべき事態にもしない姿勢。
 決して障がい者だけの問題ではないと思います。
 
 障害者入所施設、社会福祉法人藤倉学園を私達に紹介・斡旋したのは、東京都の児童相談所で、施設の行政を担当する東京都福祉保健局の傘下にあります。
 東京都に対して、息子の行方不明当初から事故の調査を依頼しました。
 調査結果は、遺体の身元が確認されたのちに還元されました。
 複数の職員の不適切な対応と設備の疎漏な管理が行方不明の原因で、過失を認定しています。
 しかし、東京都は重ねての依頼にも関わらず、施設に対しては改善指導にとどめ、行政処分をしません。
 「紹介責任の回避」の意図が強く感じられます。

 こうした事実を障がいの有無にかかわらず、お子さんを育てている皆さんに広く周知していきたいと考えています。




「帰るぞ !!」

 息子が幼稚園位のころから、母親の実家に遊びに行くときは、お散歩がてら歩いて行きました。
 片道10kmくらいのウオーキングになります。
 父親の実家とはしっかり区別し、到着すると、冷蔵庫を開けたり、寝室に出入りしたり…、我が物顔の無礼講でした。

 あるとき悪戯で、和室の障子をブスブスと指で穴を開けて遊んでいました。
 祖父に見つかり、大きい声でたしなめられたとき、逆切れしました。
 ダイニングで祖母と雑談していた母親の手を引っ張り、玄関まで連れて行き、
 「こんなところに居られるか、早く帰ろう!!」とでもいうようにひとしきり
 アピールしました。
 なだめようとした母親を、勢いよく玄関のたたきまで押しだしていきました。

 息子が亡くなった今となっては、親をどんなに困らしてもいいから戻ってきてほしいと思っています。
 今は、母親が実家に行くときは、なるたけ想い出の道を避けて、自転車で行きます。

 祖母は、いろいろ叱ってしまったことを口癖のように後悔しています。
 祖父は何も言いませんが、私達に会うと息子を思い出すようで、後ろ姿がいつも淋しそうです。


訴訟の経緯

 2015年9月4日、知的障がいの息子松澤和真が、預けていた障害者入所施設から行方不明になり、高尾山の登山道で遭難、11月1日に麓の沢で遺体で発見されました。
 身元が確認され、通知されたのが、翌年1月4日でした。
対面できるまでに、事故発生から4カ月かかりました。
 行方不明の原因は、入所施設の業務上の過失で、本来施錠していなければならない扉が施錠されず、ガードもされていなかったことと、そのことが原因で1人の子供が出てしまったことを認識していたにもかかわらず点呼を取らなかったことでした。
 点呼を取らなかったこと以外にも、複数の職員が安全配慮義務にもとづくルールを守らず、設置していた防犯カメラの不具合を放置していたことが挙げられます。
 事故は発生してから1時間以上も発覚せず、又、防犯カメラで直ぐに確認できなかったため出てしまったこともわからず、敷地内を捜すのにさらに1時間かかり、警察への通報には2時間以上も経過していました。
 通報が遅くなり、警察犬も後をたどることができなくなりました。
 防犯カメラの解析が遅れ、出て行った時の服装も誤って伝えられました。

 行方不明の時点から、施設を監督する東京都に調査を求めました。
 調査の結果が通知されたのは、遺体の身元が確認された翌年でした。
 東京都は施設の過失を認めましたが、改善指導にとどめ、行政処分はしませんでした。

 現在、捜索をお願いした警察署に訴え、事故を起こした施設管理者や職員に対する刑事罰を要請しています。

 施設側も過失を争う姿勢はありませんが、賠償については、弁護士を通じ障がい者を差別する金額を呈示してきました。
 賠償額は「逸失利益」と「慰謝料」から構成されます。
 施設の呈示は、逸失利益をゼロ、慰謝料は基準の最低額20百万円というもの。
 これは、息子は生きていても価値がないという、障がい者を差別したものです。
 まだ15歳の成長過程であった息子に対し、そもそも「利益を産み出さない価値のないもの」と重過失の加害者から言われる筋合いはありません。
 こうした障害者を差別する考えを持つ施設であったから、事故は起こるべくして起こったと考えています。
 家族にとっては、かけがえのない存在である大切な子供を預かっているという認識が欠けている姿勢がうかがえます。

 息子は、その稼働能力から将来就労する可能性は十分ありました。
 又、亡くなった息子が失ったものは、労働の機会だけではなく、これから体験する様々な経験や、感動、知識、夢、人との関わり、人生のすべてです。
家族が失ったものは、息子と関わることで得られたはずの人生経験で、苦労、喜び、自分達の成長等々…きわめて大きなものです。
本来、命の価値が差別されてはならないと思っています。

従来から、経済的に弱い立場の人たちは賠償問題で不利な立場に立たされてきました。
私達の判例が良い方向にむかえば、障がい者ばかりでなく、主婦、非正規雇用、ニート等、経済的に不利な立場に置かれている方々の今後の賠償額の基準の底上げにもつながると考えています。

共感いただける方はぜひ応援していただければ幸いです。

2016年12月9日、社会福祉法人多摩藤倉学園に対し、裁判所の職権で、証拠保全の手続きを行い、民事賠償手続きを開始しました。


(息子と最後に一緒に見た宮ケ瀬ダムの風景)


2016年12月18日日曜日

グーグルマップ

  息子の遺体の身元が確認され、私達のもとに戻ってきた後のこと。
 捜索中の事を思い出しながら、グーグルマップで発見された場所を表示し、ストリートビューに切り替えたときに驚きました。
 昨年11月の息子捜索中のシーンが写っていました。
 複数の警察の方が、山岳装備で発見された沢に架かる橋で待機しているのです。
 ストリートビューで画像が表示されるということは、比較的車の往来がある場所だと認識しました。
 橋から遺体が発見された場所まで、しっかりした靴があれば、慣れると20~30分くらいで到着します。

 安全より効率を優先させた体制で、他の入所者が出てしまったことに気づいたのに、他に出た入所者がいないか確認の点呼をとらなかった施設。業務上の過失により、息子は行方不明になりました。

 上履きのサンダルのまま外に出て、天候も視界も悪い夜間の登山道の悪路で足を取られ、サンダルも脱げてしまったようです。
 夜間はヘッドライトや懐中電灯が無ければ真っ暗で足元も見えません。
 サンダルの脱げた登山道から発見されたふもとの沢まで歩いて一時間半かかります。
 傾斜角60度の斜面、靴下だけで下山できても、上ることはできなかったようです。

 発見場所に案内されたとき、登山靴や渓流用の長靴を着用しました。
 案内してくれた警察の方は歩き慣れているようでしたが、素人の私達には整備された登山道を歩くのとは格段の差を感じました。
 沢の中を渡るときは、登山用ストックで水深を確認しながら、岸の斜面を歩くときもやはりストックで足場の固さを確認しながら進みました。
 高低差のある岸は滑りやすく、念のためにヘルメットを着用しました。

 息子は、計画的に隙を見計らって施設を出たのではなく、施錠するべきとびらが開けっ放しになっていたので出てしまったのです。
 最初から山にいくつもりなら、靴箱の運動靴に履き替えていたはず…。
 せめて運動靴さえ履いていれば、命を亡くすこともありませんでした。
 ルーズな体制が引き起こした事故。
 遺品として戻ってきた靴下は穴だらけでボロボロでした…。
 
 本日、裁判所の職権で、障害者入所施設の「社会福祉法人 多摩藤倉学園」に対し証拠保全を実施、民事訴訟の手続きを開始しました。

(遭難した近郊の地図 グーグルマップではありません。)
 




「びょういん ハッ ! 」

  息子が小学校3年生位の時に、初めて虫歯の治療をしました。
 注射は、予防接種で慣れているせいか特に抵抗しません。
 しかし、虫歯を削るのは、大人でもキーンという音を聞くだけで身につまされます。
 自閉の息子に虫歯治療などできるのだろうか、いつも不安に思っていました。
 そのため、母親は小さいときから神経質なくらい、歯磨きを入念に行ってきました。
  しかし、ついにその時がきました。
 歯科検診で、虫歯を指摘されたのです。
 歯科医に相談した結果、治療は麻酔で眠らせて行うことになりました。
 医師と歯科医のコラボによる治療、障がい児専門の治療施設で処置することになりました。
 予定通り終了し、寝ている息子を、ストレッチャーで駐車場のマイカーまで運んでもらいました。

 出発しようとした瞬間です。
 目が覚めた息子が、血相を変えて父親に迫ってきました。
 治療台のところへ戻れ と憤激しています。
  歯科医に文句を言いたかったのか、
  目が覚めている状況でやり直せと言いたかったのか…
 今から思うと、後者だったと思います。
 「寝ている間に何をした ? 仕切りなおせ !」とでも言いたかったのでしょう。
 取り急ぎ、診療所をあとにしました。
 大人でも虫歯の治療をもう一度受けるのはためらいます。
 親は心配しましたが、亡くなった息子は思ったよりしっかりしていたようです。

 施設から帰省の車の中で、一度は必ず口にしました。
 「びょういん、ハッ ?」(歯医者さんにいくの ?)
 虫歯の治療は“勇敢な ?”息子でも好きではなかったようです。